(RECESS ABROAD: JAPAN – Recess より転載)
下町の赤ちょうちんとかで飲んでるとよく「二丁目に連れてって」と女子に言われることがある。ホモだからって二丁目ばっか行ってると思うなよって思ったりもするんだけど、向こうもまあ、社交辞令なんだろう、実際に行くことはあまりない。
そもそも私は20代でこそ、二丁目で遊んだりもしたけれど、飲み屋デビューはゴールデン街だった。だから二丁目育ち、ってよりもゴールデン街育ちって意識の方が強い。二丁目も好きだけどね。
ゴールデン街に久絽というお店がある。花園一番街の一番端っこにある小さいお店だ。その名の通り、久絽というママが一人でやっている。
学生時代、「ゴールデン街で久絽という店が中心となってGAW展というアート展をやるから店番を手伝ってほしい」と当時の教授に声をかけられたのがきっかけだった。あれは確か20歳になる頃だった。
「ウィスキーの飲み方もしらないの?」
それまではクラブかチェーンの居酒屋にしかいったことがなく、テキーラかカクテルしか知らなかった私が真っ先に言われたこと。焼酎とウィスキーの割り方を習い、アイスピックでの氷の塊の砕き方を初日に習った。「あんたオカマなの?いやあ、凄いのをよこしたもんだよ」と久絽さんはニヤニヤしていた。
久絽は面白いお店だ。久絽さん自身もアーティストで、当時はCDを作ったり、作品を展示していた。GAW展ではゴールデン街劇場を利用して詩の朗読会をしていた。客もアーティストが多かった。アーティストだけでなく、編集者、ライターだとか所謂「文化人崩れ」的な人たち。そんな人たちが夜な夜などうしようもない話ばっかりしてる。あたしもよく「最近の若者は○○も読んだこともないのか」とからかわれた。
その常連の中に森山大道がいた。GAW展も様々な作品展示があったが、森山大道の作品はひと際輝いていた。モノクロの背景に浮かび上がる深紅の唇。それをステッカーにして久絽は壁から天井までひたすら貼っていた。圧巻だった。
久絽さんのお手伝いしていた時、好きな音楽を流していいって言われたことがあった。あたしはお店の品位を損なわない音楽をと考えに考えてエリカバドゥを流していたんだけど「オカマみたいな曲流してんじゃないよ!」とたまたま戻ってきた久絽さんに言われたことがあった、「しょうがないじゃないの、オカマなんだから!」って言い返して二人で爆笑して仲良くなった。
通りがかりの男女がお店に入りたそうにしていた時に「良かったら作品見ていってください」って笑顔で話しかけたら「うちは連れ込み宿じゃねえんだよ」って怒られたこともあった。「だって大道さんの写真、色んな人に見てもらいたいじゃない!」ってやりとりをしてたら森山大道がおもしろそうに眺めてたなんてこともあった。森山さん、寡黙だったけど素敵な方だった。
残念ながらあたしはその後、ワープアになったり、住んでいた実家が遠かったり、なんでかアメリカで働いたりしていたので久絽とはその後、疎遠になってしまった。最近ようやく色々余裕ができたので気が向いた時に行っている。
久絽さんにはすっかり忘れられてしまった。いや、あの人はお酒を飲み過ぎなんだ。だから行く度に「GAW展の時、手伝ったのよ」「あーあの時の子?」なんてやりとりをいつまでもして、同じような思い出話を何度もしている。でもそのやりとりすら心地が良い。森山大道の唇ステッカーもそのままだ。
ゴールデン街はこの10年で変わってしまった。当時通っていた文化人崩れのおじさん達も高齢になって来る頻度が落ちた。そのかわり、外国人観光客が増えた。そして日本人の若者も増えた。外国人はチャージというシステムを理解できないから多くのお店がチャージをやめた。その変わり一杯あたりの単価を高くした。久絽も例外ではない。
久絽は外国人受けするようで、あたしが久絽さんと飲んでいると、果敢にも外国人客がどんどん入ってくる。そんな外国人たちに対して英語でシャキシャキ接客する久絽さんを見て、さすがだと思ってしまう。街は変れども、店はいつまでも変わらない。私はそんな久絽が大好きだ。
ぜひ久絽に行ってみて欲しい。