それでいいっしょ

ゲイHIPHOPライター鼎のブログ

イベント業界で働いてるけど、コロナウイルスで業界がヤバいんだわ。

Tokyo Game Show 2005

前々から言ってるんだけど、あたしはイベント業界で働いてる。フリーランスではなくて、イベント会社に籍を置いて社員として働いている。

 

イベント業界って言っても漠然としていてわかりにくいと思うんだけど、「東京○○ショー」と言えば想像しやすいかな。幕張とかお台場の大きな会場でよくやってるやつ。あの中にも色んな企業ブースとか、運営本部とか色んなセクションがあって、あんなに大きいイベントをやるにはたくさんの人手が必要で、そこに人を斡旋してるのが私たちの役割。まあ、人材派遣がメインにはなるんだけど、企画や制作も含めてイベント全般のお仕事をしています。

 

出演者や主催者の控室を作ったり、スタッフのお弁当の手配をしたり、トランシーバーの準備だとか本部の中のことをするときもあれば、企業ブースで列を整理をしたり、受付や景品との交換をしたり。実力がある人はステージ進行を捌くこともある。代理店から降りてくるんだけど、まあ色んな仕事がある。コンパニオンを手配するのも自分達の仕事だ。そうやってイベントを作ってる。

 

この業界に入って思ったことは世の中、本当に色んなイベントがあるんだなってこと。幕張とかお台場みたいなわかりやすいものだけじゃなくって、駅中の物産フェアとか、入社式とか就活とか車の試乗会とか映画の試写会とかマラソン大会とか。全部イベントなの。業界の人が「うちは何でも屋ですから」って自虐気味に言って笑いを取ることが多々あるんだけど、まさにそんな感じ。

 

このコロナ騒動でそのイベントが全部なくなってしまった。あっという間だった。

 

実はイベント業界はほぼフリーランスで構成されている。シフトの融通が効くからといって学生がバイトをすることもあるし、正直に言えば学やキャリアも関係ない世界なのでフリーターも多い。実力を認められてたスタッフはアシスタントディレクター(AD)になり、スタッフを束ねるポジションになる。そうなると日給も上がるのでまあまあ生活もしていける。ADから更に上のディレクターになれば責任も重くなるが日給はもっと上がる。そういう人たちの手配もイベント会社の社員の仕事になるが、ディレクターレベルになればサラリーマンより稼げてしまうので、サラリーマンに戻れなくなってしまったという人たちもたくさん見てきた。私たちみたいな社員よりよっぽどもらってたりするもん。


そんな人たちの収入源が一気になくなってしまった。最後の頼みの綱として某国際的スポーツ大会があったが、それすら先の話になってしまった。あたしは社員なので現場がなくてもお給料が出るが、それだっていつまで続くかわからない。フリーランスの人たちは既に路頭に迷いつつある。「現場ないですよね?」とダメ元で聞かれるが、謝りながら断るこちらとしてもキツいものがある。今まで散々助けてもらった彼らの生活を守ってやれないのも歯がゆい。


少しでも売上に繋がればと思い、既にライター業を会社を通して受注している。ただ、ライター案件も決してギャラは高くないし、あたしも決して器用なタイプのライターではないのでくすぶっておりますよう。というわけで何でもいいのでお仕事ください。

ゴールデン街の久絽という店

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RECESS ABROAD: JAPAN – Recess より転載)

 

下町の赤ちょうちんとかで飲んでるとよく「二丁目に連れてって」と女子に言われることがある。ホモだからって二丁目ばっか行ってると思うなよって思ったりもするんだけど、向こうもまあ、社交辞令なんだろう、実際に行くことはあまりない。

 

そもそも私は20代でこそ、二丁目で遊んだりもしたけれど、飲み屋デビューはゴールデン街だった。だから二丁目育ち、ってよりもゴールデン街育ちって意識の方が強い。二丁目も好きだけどね。

 

ゴールデン街に久絽というお店がある。花園一番街の一番端っこにある小さいお店だ。その名の通り、久絽というママが一人でやっている。

 

学生時代、「ゴールデン街で久絽という店が中心となってGAW展というアート展をやるから店番を手伝ってほしい」と当時の教授に声をかけられたのがきっかけだった。あれは確か20歳になる頃だった。

 

ウィスキーの飲み方もしらないの?
それまではクラブかチェーンの居酒屋にしかいったことがなく、テキーラかカクテルしか知らなかった私が真っ先に言われたこと。焼酎とウィスキーの割り方を習い、アイスピックでの氷の塊の砕き方を初日に習った。「あんたオカマなの?いやあ、凄いのをよこしたもんだよ」と久絽さんはニヤニヤしていた。

 

久絽は面白いお店だ。久絽さん自身もアーティストで、当時はCDを作ったり、作品を展示していた。GAW展ではゴールデン街劇場を利用して詩の朗読会をしていた。客もアーティストが多かった。アーティストだけでなく、編集者、ライターだとか所謂「文化人崩れ」的な人たち。そんな人たちが夜な夜などうしようもない話ばっかりしてる。あたしもよく「最近の若者は○○も読んだこともないのか」とからかわれた。

 

その常連の中に森山大道がいた。GAW展も様々な作品展示があったが、森山大道の作品はひと際輝いていた。モノクロの背景に浮かび上がる深紅の唇。それをステッカーにして久絽は壁から天井までひたすら貼っていた。圧巻だった。

 

久絽さんのお手伝いしていた時、好きな音楽を流していいって言われたことがあった。あたしはお店の品位を損なわない音楽をと考えに考えてエリカバドゥを流していたんだけど「オカマみたいな曲流してんじゃないよ!」とたまたま戻ってきた久絽さんに言われたことがあった、「しょうがないじゃないの、オカマなんだから!」って言い返して二人で爆笑して仲良くなった。

 

通りがかりの男女がお店に入りたそうにしていた時に「良かったら作品見ていってください」って笑顔で話しかけたら「うちは連れ込み宿じゃねえんだよ」って怒られたこともあった。「だって大道さんの写真、色んな人に見てもらいたいじゃない!」ってやりとりをしてたら森山大道がおもしろそうに眺めてたなんてこともあった。森山さん、寡黙だったけど素敵な方だった。

 

残念ながらあたしはその後、ワープアになったり、住んでいた実家が遠かったり、なんでかアメリカで働いたりしていたので久絽とはその後、疎遠になってしまった。最近ようやく色々余裕ができたので気が向いた時に行っている。

 

久絽さんにはすっかり忘れられてしまった。いや、あの人はお酒を飲み過ぎなんだ。だから行く度に「GAW展の時、手伝ったのよ」「あーあの時の子?」なんてやりとりをいつまでもして、同じような思い出話を何度もしている。でもそのやりとりすら心地が良い。森山大道の唇ステッカーもそのままだ。

 

ゴールデン街はこの10年で変わってしまった。当時通っていた文化人崩れのおじさん達も高齢になって来る頻度が落ちた。そのかわり、外国人観光客が増えた。そして日本人の若者も増えた。外国人はチャージというシステムを理解できないから多くのお店がチャージをやめた。その変わり一杯あたりの単価を高くした。久絽も例外ではない。

 

久絽は外国人受けするようで、あたしが久絽さんと飲んでいると、果敢にも外国人客がどんどん入ってくる。そんな外国人たちに対して英語でシャキシャキ接客する久絽さんを見て、さすがだと思ってしまう。街は変れども、店はいつまでも変わらない。私はそんな久絽が大好きだ。

 

ぜひ久絽に行ってみて欲しい。

 

http://goldengai.jp/_userdata/201405.PDF(地図)

https://www.yelp.com/biz/7HL_rVLdkd2eTDGutmS5mQ?utm_campaign=www_business_share_popup&utm_medium=copy_link&utm_source=(direct)

今、Valkneeの『nice pic』騒動を想う。

酔っぱらうと未だにValkneenice picを聴いてしまう。
そして眠りにおちるまでモヤモヤとした感情を胸に抱えてしまう。

 

Valkneeは舌ったらずなラップが癖になるフィメールラッパーだ。
ギャルラッパーを自称しているが、その起源はどちらかというとオタク。というかハロオタを自称しており、ハロプロの音源にラップを載せ始めたのがきっかけということがsaii君のインタビューでも読める。

valknee+ANTIC、ギャル憧れ世代のギャルサーを──「パンチライン・オブ・ザ・マンス」第31回 - OTOTOY

 

ValkneeはANTICというトラックメーカーと組んで曲をリリースしているんだけど、トラップっぽい曲もあればほんわか浮遊感ソングもあって、本当にイケイケって感じで目が離せない。


でもギャルっぽい面もリリックに垣間見れるのがValkneeの面白さだ。

 

例えば『悪夢』。

「新しい彼女できたとしても彼女の元カレもValkneeファンだよー」「新しい彼女できたとしても彼女の鼻歌もValkneeラップよー」というギャルっぽいマウントの取り方を表していて面白い。そして無意識なんだろうけど、『悪夢』のフロウはari1010の「君の名は」を彷彿とさせる。それが癖になる。

 

Dreamin'(valknee好きピremix)』も外せない。

「好きピ、まじ好きー」というあたし世代には使うのも憚れる現代ギャル語を連呼。複雑なコードのトラックとも相性が良く、舌ったらずな歌い方、ユニゾンの厚みも相まって中毒性の強い曲に仕上がっている。細川ふみえの「スキスキスー」的なノリなんだよね。

 

ここまで書けばあたしのValknee愛が伝わると思うんだけど、問題の曲は「nice pic」というタイトル。

 

男の自撮りはカマくさいけど」という表現が出てくる。
男はこうであるべき、という押しつけ、そして「カマくさい」というゲイに対する差別表現が一部に騒がれた。といいながら、果たしてこれはゲイ差別なのかと未だに考えてしまう。単なる当事者による言葉狩りではないのかって。
言葉というのは本当に難しい。本人はそのつもりがないのも伝わってくる。

でも正直に言って、好きなアーティストがそういう表現を使っているのを見ると非常に胸が苦しくなった。

 

でもね、あたしこの曲大好きなの!!
だってサビが「シティーボーイの飯見せてェ」だよ!めっちゃキモいじゃん!男の子に対するスニーカーから飯までインスタでアップしろっていう欲望の歌なの。そのベクトル、本当に好きなの。トラックもめっちゃかっこいいし。無意識に「シティボーイの飯見せて」ってうっかり呟いちゃうもん。


あのね。このジレンマをどう昇華したらいいのか、36歳になってもまだわかんない。情けない。本当に興味ない対象だったら「ハイハイ」で冷ややかに笑って澄ましちゃってるんだけど、だってValknee好きなんだもん。
そもそもゲイにハロオタ人口めっちゃ多いしね。ほら、アイドルってゲイが自己投影するのにぴったりだから。美しくてかわいくて。ちなみにあたしは鞘師、さゆみ、壇はう推しだったんだけど。だからValkneeのことも嫌いになれないの。一緒にハロプロ推したいよ。そんなValkneeを推したいよ。


それでその問題の箇所を指摘する声もあったんだけど、それを眺めながら時代は変ったなって思った。だって指摘してる方々、LGBT当事者じゃないんだもん。

 


救われた。本当に救われた。
この二人の呟きに。
時代は変わった。

 


中1の時、理科の先生に「オカマ」って罵られたことがあった。
あの屈辱は忘れもしない。あの日、その理不尽な罵りに対して怒りが沸き上がり、泣きながら職員室に駆け込み、学年主任の先生に「教育者がそういうことしていいんですか?」って絶望しながら泣き叫んだ。自我がまだきちんと形成されてない時期、己のジェンダーもまだわからぬ時期、理不尽に差別を受けた。あたしはあの日、人を呪うことを覚えた。

 

あの日の自分に、これから世の中はもっと良くなるって伝えたい。

 


私は今でもモヤモヤしながらValkneeを聴き続けてる。
Valkneeが大好きだからこそこのモヤモヤはきっと消えない。

 

追記:

SNSでご本人よりメッセージを頂きました。とても素敵な方だったので、ぜひ読んでみてください。より一層好きになりました。再生回数伸びてほしい。

 

追記2:

他にも影響力の強いラッパーでゲイフォビアな方がいる中、コンシャスなラッパーにだけ狙い撃ちをしてこういう意見を表明しているのではないかという声も見かけました。

そこでビーフするつもりはないけど、私はドライブバイの時には既にインターネットの使い手だったのでめっちゃ抗議メールしてます。あと無謀にもクラジャマとか乗り込んで騒ぎを起こしたこともありました。意図的ではなかったけど。

最近はメジャーラッパーは切り捨てちゃう。サウンドが好みじゃないから。でも「コンシャスなラッパー」を狙い撃ちしてるってわけじゃない。そこはご理解頂きたい。結果的に個人として、サウンドの面白さを求めたら「コンシャスなラッパー」ばっかり聞いちゃってる面はあります。影響力なんかで音楽は選んでません。ライター業する時も特にそうですが、自分がリスペクトしたい人たちの曲だけ取り上げたいと思っていますよう。

 

www.kanaehiphop.tokyo

ベッキーが殴る蹴る首を絞めるバールを振り回す 映画「初恋」が凄かった

※一部ネタバレを含む箇所があります。ご了承の上、お読みください。

 


各方面で話題になっている映画「初恋」を見てきました。

youtu.be


凄い。ベッキー凄い」の一言に尽きる。まさにベッキーのために作られた映画だった。


そもそも映画には疎いあたしだけど、三池監督はそれほど評価していなかった。というのも村上龍の「オーディション」を三池監督が映像化した際に失望をしてしまったのだ。女の執着心やストーカー的な恐怖の描写が素晴らしかった原作だったが、映画版は安っぽいホラー仕立てで「キリキリキリ 痛いでしょう」などと余計なセリフまでついていた。世界的には評価された映画版「オーディション」だったが、原作を愛する故にどうしても映画版を愛せない、という悪い癖が出てしまったのだ。

その後、何本か三池映画を見ていたが、グッと来たのが「悪の教典」だった。ひたすら殺人描写。しかも被害者が高校生ばかり。ああ、三池監督の良さはこういうエグい作品で光るんだなと納得した。ついでに言えばライフルに刺又一本で立ち向かう山田孝之の間抜けな姿が素晴らしく、好きな生徒のパンツを嗅いで死ぬというあまりの情けなさがとても愛おしかった。

 

そんな三池監督の新作「初恋」、どんなものだろうと見てみたらエンタメ映画としては傑作だった
石原さとみのような雰囲気のあるヒロインに正統派俳優の窪田正孝の純愛、そしてヤクザvsチャイニーズマフィアの見事なアクション、メリハリの効いた起承転結。実写映画という枠に囚われない演出。次々とストーリーが急展開を迎えて飽きさせない。

 

でもね、そんなものはどうでもいいの、結局
もうとにっかくベッキーが凄い

 

私も殺すけど、皆もぶっ殺して!!!
愛する男を殺されたベッキーが怒り狂い、泣き叫び、バールを振り回し、サーベルで斬る。もうとにかく終始狂っちゃってるのだ。
勝手に死んでるんじゃねーよ!!!!」と彼女は劇中で吠える。

https://twitter.com/hatsukoi2020/status/1231881456131198976?s=20

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かつては好感度の高いタレントとして一世風靡をしたベッキー。有吉に「元気の押し売り」というあだ名をつけられた程だった。
しかし文春砲によりその評判が地に落ちたのは記憶に新しい。
そんなベッキーに三池監督はジュリを演じさせることによってまた女優としての命を吹き込んだのだ。

 

 

ジュリは本当に凄い。
ヤク中の娼婦を罵り、体当たりで窓を破って部屋から逃げ、床にバールを打ち付けながら敵の前に登場する。仕舞には自分の陰部をまさぐり、その愛液を敵に見せつける

その姿は「氷の微笑」で脚を組み替えるシャロンストーンのように、そして「バベル」で陰毛を見せつける菊地凛子のように淫靡で、でも「千と千尋の神隠し」で坊に「血!血!」と手を見せつける千のような必死さもあった。

 

汚れ役もいいところだ。
ベッキーのそんな姿を見ることになろうとは誰が思うだろうか。
失うものがもうなくなった女しかこんな役は演じられない

決して演技が上手いわけではない。
セリフの読み方は残念ながら不自然さが残る。

しかし夏木マリや土屋アンナにも共通するあっけらかんとした狂気がベッキーに宿った気がした。
ひたすら叫び、暴れる。その姿を自然と応援してしまう
隠しきれなくなった狂気を開き直って全開にしてしまったベッキー。
ベッキーがこの役を務めたからこそ、この映画は傑作となった。窪田君の初恋エピソードなんておまけでしかないよ。(でも死を覚悟した窪田君が生に執着する姿は良かったけど)


そしてもう残念ながらあたしたちはベッキーを愛せずにはいられなくなってしまった

「パラサイト」も「ミッドサマー」も良いけど、この「初恋」もおすすめ。もうぜひベッキーの雄姿をご覧頂きたい。

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