ラジオを聴いていたら耳に残った曲があったから調べたらEllie Gouldingの"On my mind"だった。オマママインっ!オマママインっ!
それほど興味のあった歌手ではないが、行きつけのゲイバーではエリーのBurnがよく流れているので気になって調べてみたら"On my mind"はMax Martinがプロデュースをしていた。
マックスマーティンは本当に偉大なプロデューサーだ。エイスオブベイスのプロデュースでその才能を開花させる。
バックストリートボーイズの成功
1996年からはバックストリートボーイズに次々と曲を作り、"Everybody""Quit Playing Game""I Want It That Way"など数々のヒット曲を連発させた。
ブリトニーという奇跡
98年にはブリトニースピアーズの"Baby One More Time"”(You Drive Me) Crazy""Oops!I Did It Again""Stronger"など次々と大ヒットに導く。他にもBon Joviの"It's my life"や'N Syncの"It's Gonna Be Me"にも携わり、96年間から2000年までの4年間は寝ても覚めてもマックスマーティン祭りだった。
バブル崩壊
しかし2001年に入るとマックスマーティンバブルが崩壊してしまう。アイドルの悲しい定めか、バックストリートボーイズも次第に売れなくなり、2005年になんとか"Incomplete"をヒットさせるもそれはマックス絡みではなかった。ブリトニーも3枚目のアルバム"Britney"では1stシングルをネプチューンズが担当し、なんとかスマッシュヒットになったものの、マックスが制作した"Overprotected""I'm Not a Girl, Not Yet a Woman"などははアメリカでは売れることがなかったし、2003年に出た4枚目の"In the Zone"では"Toxic"が大ヒットしたものの、マックスはアルバム制作に一切関与していなかった。時代がもうマックスの曲を求めなくなったのだ。
あの人は今?状態に
2001年以降も制作曲がだいぶ減った。それでもケリークラークソンの"Since U Been Gone"を2004年に大ヒットさせ、E-Typeなどのために曲を作り続けたが、かつての存在感はなくなり、忘れ去られていた。
復活の兆し
しかしそれでも彼はあがき続けた。その甲斐あってか2006年になるとだんだんとまた仕事が増えてくる。まず、Kelisがネプチューンズから離れて出したアルバム"Kelis was here"の"I Don't Think So"を制作していて驚かされた。また、落ち目となりつつあったP!nkにも"Who Knew"などのスマッシュヒットを提供した。
ブリトニーと再タッグで再起
だいぶ長く続いた暗黒期だが、転機となったのは2008年。なんとブリトニーの"If U Seek Amy"で起用され、しかもファン投票でシングルカットに選ばれてスマッシュヒットとなったのだ。
次々とプロデュース
その後は暗黒期が嘘だったかのように曲をたくさん作っている。
Ke$haの1stアルバムで3曲携わった他に、Katy Perryの"California Gurls"も大ヒット。Maroon 5の"One More Night"でも起用され、やっぱり大ヒット。オカマが誇るポップシンガー、アダムランバードの"Whataya Want From Me"もそこそこ売れ、いつの間にかヒットメーカーにかえり咲いた。
テイラースウィフトの"Shake it off"
さらにまたまたテイラーのshake it offが大ヒット。日本でも本当によく流れている。また、kellis以降もアッシャー、アリアナグランデ。Pitbull、そしてJLOなどいったR&Bマーケットにも進出してヒット曲を作っている。
グラミー賞もゲット
第57回グラミー賞において、年間最優秀プロデューサーに輝いた。世界一のヒットメーカーともいわれ、年収は計り知れないだろう。単なるアイドル専門のプロデューサーだったマックスが挫折を経験するも諦めることなくもがき続けたからこそ、より大きな成果を作る結果につながった。20年たってもヒットソングを作れる、そんなプロデューサーは中々いない。本当に偉大な人だと思う。