それでいいっしょ

ゲイHIPHOPライター鼎のブログ

新宿二丁目のDOUBLEナイトが本当に良かった。

先日、「自分はもう二丁目に合わない」的な記事をポストしたんだけど、前言撤回致します。なぜなら先日行った二丁目のdoubleナイトが本当に楽しかったのだ。

 

そもそも、DOUBLEナイトって何?って思った方もいるかもしれないけど、
もう日本が誇る世紀のDIVAこと、DOUBLEの曲だけを流し続けるイベントなの。

 

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そもそも、新宿二丁目にはテーマに合わせたナイトイベントが無数にあってそれぞれ「~ナイト」って名前がつけられている。
ゲイ同士の出会いをサポートするようなナイトもあったりするんだけど、音楽に特化したナイトも多い。一晩中同じアーティストの曲を流し続けるなんてノンケの世界では考えられないかもしれないけど、「マドンナナイト」「松田聖子ナイト」「宇多田ナイト」「安室ナイト」など、ゲイの心を掴んで離さない歌姫達にフィーチャーして色んなナイトが開催されている。

安室ナイトはご本人も遊びに来たことで有名だし、宇多田ナイトはシークレットゲストでPUNPEEが来た事もある。最近では「m-floナイト」なんてものも開催されてて、ちょっと気になっている。そんな中、初めてDOUBLEナイトが開催された。
嗚呼、麗しのDOUBLE。誰が何と言おうとDOUBLEは日本一のRnB DIVAだ。

 

DOUBLEのことはちょうど中学時代に「SHAKE」でその存在を知ったんだけど、もうそれはそれは衝撃的だった。 

Shake (Original)

Shake (Original)

  • DOUBLE
  • R&B/ソウル
  • ¥250
  • provided courtesy of iTunes

 

その頃、あたしはマライアとかモニカとかエリーシャラバーンとかの90年代後期R&Bにどっぷりだったんだけど、それと同じ音楽を体現できるシンガーが日本にもいるってことを知って本当に好きになってしまった。

 

当時はMISIAや宇多田も同時期に出てきたんだけど、「音楽的な黒さ」って意味ではDOUBLEが圧倒的だった。安室も好きだったけど、当時はまだ小室ファミリーの影響が色濃く残っていたしね。実際に宇多田もMISIAもPOPS要素が強くなって行く中、DOUBLEだけがDEF JAM JAPANサウンドから派生したようなRBを続けていった。
SACHIKOが亡くなったのは本当にショックだったけど、復活劇も素晴らしかった。ふと柏VATのバージンレコードをかっぽしてたら試聴機で見つけた「HANDLE」。プロデュースはswvでお馴染みのブライアンアレクサンダーモーガン。紛うことなきUS R6Bだった。あまりの格好良さに発狂した。 

Can You Handle it?

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ってこの辺のDOUBLEのキャリアに関しては話すと長くなる。以前REALSOUNDに書いた記事にまとめてあるので読んでみてくんさい。

realsound.jp

でも、自分の性的趣向も曖昧だった思春期、女でありたいと願う心が少しだけありながら、でも男として産み落された事実を受け入れ、ゲイとして生きることを決意したあたしにとって、「でも本当はDOBULEのように、TAKAKOのようになりたかった」という想いを胸に隠しながらただひたすらTAKAKOに自己投影をしていた。

 

死ぬほどDOUBLEを聴いた。
今より若くて夢を希望にあふれていた青春時代、あの頃DOUBLEをひたすら聴いた。アンジェラジョンソンがプロデュースした「ANGEL」、S-WORDとのコラボ「YOU GOT TO」、DE LA SOULとの共演「SAY I GOTTA BELIEVE!」。言い出したらキリがない。でもそんな思い入れの強いシンガーなのだ。

 

今回のDOUBLEナイトは二丁目でもうキャリアの長いDJで、古い知人でもあるNAKAMATAが企画した。彼のDOUBLE愛も相当だってのは知っている。もしかしたらあたし以上かもしれない。だからこそ応援したくなって今回重い重い腰を上げてDOUBLEナイトに行ってみたのだ。その日は仕事だったけど、ラッキーなことに内勤だった。少し遅くなってしまったけど、コアタイムには間に合った。

 

良かった。DOUBLEナイトは凄く良かった。
次々と流れる曲、すべてがDOUBLEだった。やっぱりシングル曲が中心だが、「え、こんな曲も流しちゃうの」ってのもあった。そして何より会場にいるお客さん全てがDOUBLEの曲で踊ってて、皆DOBULE好きなんだなって感じられてとっても良かった。気合いの入った長年のファンだろう。女子も多かった。

 

ナイトを盛り上げるドラァグクィーン達からもDOUBLE愛が凄く感じられた。
自前の車の小道具で「Driving All Night」を演出したBIBIY GERODELLEさんも最高だった。

 

BIBIY GERODELLEさんと共にSHAKEのフリを完コピしていたをLIL' GRAND-BITCHさんも良かった。

 

https://twitter.com/ayatoiimasu/status/1085048557873201152

https://twitter.com/ayatoiimasu/status/1085048557873201152

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そして終盤ではみんなで円形に並んで「SHAKE」の振りを踊り、お互いに見せつけ合って楽しんだ。ゲイも女の子もドラァグも、みんな一体になってDOUBLEの音楽を身体で楽しんでいた。そのまま「BED」をみんなで大合唱。キーが合わなくて音程が外れていても気にせずにガナり続けた。

 

あの時、あたしは青春時代に戻った気がした。
大学時代にバイトしてた電気屋のSOTECの展示用パソコンに「WHO THAT'S GIRL」のPVを仕込んだらメモリが128MBしかないから途中で固まってしまったなんていうどうでもいいエピソードも思い出した。
辛かったときも楽しかった時も失恋で辛い思いをしたときもいつでもDOUBLEの音楽と一緒だった。

 

今のあたしがいるのはDOUBLEの音楽のおかげなんだな。
そう思ったら色々な想いがこみあげてきて泣いてしまった。
酔っぱらって真っ赤な顔して踊りながら人目も気にせずにひたすら泣いた。

 

そしたら一緒に踊っていた女の子たちがハグして慰めてくれた。皆心配してくれてるのにどこか冷静になって「とってもいいな」って思いながらひとしきり泣いていた。
人は本当に楽しすぎると泣くんだよ。

 

DOUBLEナイト、第二回も開催されるとかしないとか。
がんばって休みとろっと。みんな一緒にSHAKEしに行きましょう。

 

 

 

久々に新宿二丁目に行って思ったこと

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実は年末、新宿二丁目に行ってきた。高校の同級生のノンケ男に二丁目に行ってみたいとせがまれたのだ。

あたしは進学校に通っていたせいですごく浮いていたんだけど、彼とはなんとなく波長が合うところがあった。彼が部活に打ち込んでるのを見て自分は違うなあって思ったこともあったけど、修学旅行で海外に行ったときにスイートルームのルームサービスの残骸を漁ったり、学校に内緒でボディピアス専門店に行ったりして打ち解けた。その後、彼は早稲田の二文に行き、誰もが知るような企業で今も活躍している。エリート予備軍の多かった中では変わった人生を歩んでいる部類だ。そんな彼から久しぶりに連絡。フェイスブックとは偉大なり。そりゃおっさんのツールと言われるわけだ。

普段、二丁目には行かない自分だけど、過去の経験からノンケが行って最大限楽しめるコースを回った。
選んだお店はアラマスカフェ、キャンピーバー、九州男、EIGHT。どのお店もとっても良いお店だ。そして年末ということもあって盛り上がっており、九州男なんかはゲイの50人規模の忘年会もやっていたので「これが二丁目の縮図だよ」と得意気に言ったりもしてみた。

楽しかった。
まあそりゃ楽しいさ。数年ぶりの友人との再会で思い出話に花を咲かせて。17やそこらの小坊主だったあたしたちもいつのまにかおっさんになってて。同級生の現状について語ってみたり。仕事について語ってみたり。時折、友人にご馳走になったりしながら大いに笑った。

髪が短くて身体もいかついなあ」と彼は歌って踊るゲイを見て言った。
そうなのだ。あたしみたいに髪が長いゲイはほぼいなかった。実際にはいないこともないんだけど、あたしたちの行先にはほとんどいなかった。そしてあたしは久しぶりに二丁目に行って劣等感を感じていた。

髪も中途半端に長く、身体だって皆ほど大きくもない。髭もない。マイノリティオブマイノリティ。若いころは何も気にしないでただ楽しくお酒を飲んでいたけど、いつからか居心地の悪さを感じるようになった。

ゲイというのは男臭さを美学として求めるので、どうしても短髪・髭・筋肉というわかりやすいファクターがステータスになってくる。だから自分の求める美意識とゲイのトレンドにずれが生じてしまう。更に言うと、自分がモテの対象から外れることがわかりきっているのに、その事実を突きつけられるのがイヤなのだ。そしてそんなつまらないことをいつまでも気にする自分の器の小ささを突きつけられるのもイヤなのだ。
二丁目は特にその傾向が強かった。上野や浅草などはあまり感じない。むしろ上野だと未だにイケメン扱いをしてくれることもある。って書いてて思ったけど、35にもなって何を求めているんだ、あたしゃ。

今の仕事が土日勤務になったのでゲイイベントに行くこともまったくなくなった。ゆるぽナイト、ノースエ、宇多田ナイト。そういった流行りのイベントに行ったことがない。行ったら行ったで楽しいんだろうなとは思うけども、トレンドを抑えた若いゲイをたくさん目にして、勝手に劣等感を抱くのは目に見えている。
あたしがノンケイベントが好きっていうのは音楽の趣味が大きいところもあるけど、ノンケイベントでは「ホモとしてのモテ・非モテ」って概念がないから楽ってのもあると思う。ゲイとしてゲイに値踏みされることがないのはすごく楽だ。自分に自信があればもっとゲイイベントや二丁目も楽しいのかもしれない。

今回の二丁目ツアーは何よりも友達に楽しんでもらうことが目的だったし、実際自分も楽しかった。その一方でやっぱり上野や浅草が好きなんだとわかってしまった。にしたって最近非モテが過ぎるから髪を切ろう。そう心に決めたところで世間は正月休みで美容院の予約もとれやしない。まったく踏んだり蹴ったりだ。

仕事が本当にできないって悩んでたら実はADHDでした。

ADHD

仕事ができない

久しぶりの更新。いやあ、仕事が本当に本当に忙しくて。10月に入社してからあっという間に5か月目突入です。
仕事もようやく慣れてきた、と思うでしょう?

 

それが全然できないの!!!
びっくりするくらい無能!!!


請求書は作り方忘れるし、経費報告書は金額間違えるし、会社のケータイは水没させるし、家出ようとしたら鍵が見つからないし、営業なのに名刺入れも忘れるし、現場も遅刻ギリギリでいつもタクシー使うし、苗場の現場には吹雪なのにチノパンで行くし、たまに電車で降りる駅間違えるし、

 

もう全然だめ。本当にだめ。気が付いたら会社きっての問題児


えーこんなに仕事できないっけって自分でびっくりした。ほら、自分の唯一の得意な事ってライティングなんだけど、前の会社はライター職だったからその他の事務作業とか少なかったし、ライティングだけこないしてればなんとでもなってたけど、今や他業種。

もう上司から日に何度も注意されるんだけど、それが本当に正論で。当たり前のことがなんでできないのって。そのうち、上司のメールも読むだけでつらくて無視するようになってたの。なんでこんなこともできないんだろうって自分に嫌気がさしてて。

これってADHD?

でもふとね、これってADHDじゃないのかなって思ってしまったの。
なんでだかはわかんないけど、部屋も汚いし、車の運転も下手だし、グーグルマップないとどこへもいけないし、時々グーグルマップ見てても迷うし、何でも失くすし、なんでも忘れるし。家出ようとしたらいつも鍵が見つからないし。

 

それでADHDの友人に上記のことを相談したのね。
幾つか質問をされて答えたらビンゴって。やっぱりそうかって感じだった。


ADHDとは

脳機能のアンバランスさがもたらす発達障害
その中でも行動を司る前頭葉の機能不全が原因と言われているのがADHD。
注意欠陥(AD)・多動性(HD)障害という名の通り、注意力が散漫で落ち着きがないなどの特徴がある。
病気ではなくて障害なので治ることはない

・ものを失くす 
・ものを忘れる 
・整理整頓ができない 
・体をよくどこかにぶつける 
・遅刻する
・集中力がない
・昼間強い眠気に襲われる

できて当たり前のことができないのがADHD。
自分もよく体をぶつけていた気がする。机の下に鞄を置いてて、物を取り出そうと屈むと机の存在を忘れて頭をあげてぶつけたり。足元も見てないからよく転んだり足首をひねったりする。大抵はドジだなあって思うだけなんだけど、家の鍵が見つからないときは本当になんで自分だけダメ人間なんだろうって思ってた。
ある程度トレーニングで改善するとは言われてるけど、個人的な見解では改善はちょっと無理そうだなって実感してるところです。

とりあえず受診

というわけで動ける日に診察に行ってきました。友達が教えてくれた上野のクリニック。
とはいっても前頭葉の機能不全なのできちんと脳波の値を調べると正式な診断ができるけど、そんな機器が全ての医療機関にあるわけもないので、チェックシートを答えてその結果によって「ADHDの傾向が強い」かどうかを調べてくれる。

そして2団体のテストを経て出た答えは「ADHDの傾向が強い」でした。ADもHDもあるって。
なぜか心理テストも受けたし、採血もあったんだけど、これは関係あるのかな。次に病院行った時に結果でるから見てみよ。

あたしがADHD!?

正直さ、「だらしない」って性格の問題だと思ってたのね。昔からこんな感じだったし、親がいつも文句言ってた。
本当に自分のダメさに嫌気がさして「なんで自分はこんなにダメなんだろう」って思ってて、ここ最近は仕事で特に滅入ってたので「障害なんだ」ってわかった時はちょっと安堵した。
高校の頃も進学校行った途端に授業で何の話してるのかわかんなくってダメって烙印押されたし、子供の頃も落ち着きがないって通信簿に書かれたし。
でも自分がダメなわけじゃなかったんだ。障害だったんだ。ダメで当たり前だったんだ。ってなんか安心しちゃった。

でもその反面、ショックでもあった。「自分だけ脳みそ動いてないんだ」ってびっくりした。だって先日まで他人事のように思ってたし、実際に「ADHDにおすすめのサプリ」みたいな記事も作ったこともあるくらい。


思春期の頃に自分が同性愛者だってことを受け入れるのに時間がかかった。「なんで自分だけ」って思いながら、漠然とした不安を抱えて押しつぶされそうになった。
その感覚が蘇った。仕事は続けられるのか、転職するにしてもまた同じ状態に陥らないか。なんで自分だけ人と違うんだろう。って。
そして「障害」という言葉の重み。


でもそれもすぐに収まりました。
色々調べているうちにADHDの著名人だとか「適職に出会えば能力を発揮できる」という事例を見つけたりして勇気をもらった。

特にこの記事は希望をくれた。

susumu-akashi.com

投薬も始めた。治るものではないけど、脳機能を改善してくれる薬。
IQテストも受けたんだけど、IQは120代と決して低くはなかった。
それだけが唯一の救いなんだけど、まあ、ADHDだからプラスマイナスゼロってところなんだろうな。
バランス悪いなあ。
当分は様子をみながらADHDというものがどんなものか学んで今後のことを考えたい。

ADHDとして生きる

35歳を目の前にして判明したADHD。
親や上司にはカミングアウトした。
報告を受けた上司は笑ってて「何なのこの人!」って思ったけど、ちょっと救われた。扱い方を考えながら働かせてくれるという。
親はいざとなったら実家に帰って来ればいいといった。ありがたいなあ。

友達にも色々教えてもらって助かった。ADHD連合作りたい。

 

でもまだ自分にはやりたいことが沢山ある。
こんなところでつまずいてる暇はない。


小林勝行という歌手がいる。
酷い躁うつ病と戦いながらも自らの経験を元にした作品をリリースしている。
その中の「from隔離室」って曲がADHDを自覚してから聴くとやたら沁みるんだ。

 

なあ かっつん
今は平気やろ?
未来の俺どないなっとる?
何笑ってん?

これからやろ?
これからやろ?
俺からしたらお前はまとも
自由になっていっぱい遊ぼう

「from隔離室」より 

 

不安を抱えながらも「明るい未来はあるか」と己に問う小林勝行。でも明るい未来を信じてこの曲を歌っている。

 

ADHDというものをこの歳で背負うことになってしまったけど、自分にも明るい未来があることを信じて精一杯生きていきたいと思う。

 

 

Realsoundで『オネエスタイルダンジョン』ファイナルのルポを公開

新宿二丁目発のMCバトル「オネエスタイルダンジョン」の潜入ルポをアップしました。今回のゲスト審査員はなんと!なんと!MC漢リップサービスも多発!?多くのチャレンジャーが女装ラッパーに挑戦状を叩きつける!楽しさが伝わるようにがんばってかきました。

 

ちなみに写真はブログ仲間のりきまるくんが撮ってくれました。

ホモ牛乳

とってもきれいな写真ばかりです。

ぜひ見てね~!

realsound.jp

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